発達障害グレーゾーンという狭間で

発達障害グレーゾーンの息子と夫がいます。息子が、以前行っていた【脳のトレーニング】のことやグレーの濃い夫の愚痴なども吐き出しています。

発達障害グレーな息子くんのパパも、限りなくグレーです(笑)

「子供っていうのは
似て欲しくないところが似るもんだ」



わたしの父親が
よく言っていた言葉です。



その通りに
息子くんにわたしの短所も似てしまったのですが
大きな驚きがあったのは、パパに似たところでした。



今日は
そのパパのお話をしようかと思います。



パパが幼い時は
まだ小さな子供は地域で育てる
みたいなところがあった時代です。



当時は問題にならなかったんですけど
今、そんなことしてたら親が逮捕されるんじゃないかな
と思うようなこともあったみたいです。



パパがまだ幼稚園にも入る前
お母さんは一時期、近所の工場に働きに行っていたみたいです。



その時に当然
幼い子供を一人、置いておけないので
工場に連れて行き、工場の隣の空き地に
ゴザを引いてもらって、そこで一人遊び
しているように
言われたんだそうです。



工場の窓からお母さんをはじめ
代わる代わる、そこに働くお母さんたちが
見守ってくれていたんだそうです。


とはいえ、そこでジッとまだ幼稚園前の男の子が
遊んでるという事自体が、ありえない
と思いませんか?(笑)



その話を聞いた時には
どんなにか心細かっただろうか
そしてお母さんもどんなにか心配だっただろうか
そちらに気がいってしまったのですが、それができたというのが驚きです(汗)



パパは幼い時の記憶がすごく鮮明で
2歳程度の記憶も、とてもはっきりしています。



わたしはあまり小さい時の
記憶なんて、ないんですけどね。


これも面白いな~と思うんですけど
大人になってからのわたしとの記憶は
さほど鮮明ではないようです・・・(笑)


そしてこのパパ。

人の気持ちがわかりにくい人です。


こう言われたら
傷つくだろう
とか
イヤだろうなといったことが
よくわからない人です



だから結婚してからの衝突は
少なからずありました。

いや・・・とっても(笑)


今は笑って言えますが
実は、笑えない内容が多かったです。



失言っていうには
あんまりなことばかりでした。



軽く言いますと
妊娠して体形が変わったわたしに



デブ専じゃないんだけどな」



ホントありえない・・・。



「兄弟は血が繋がっているから信用できるけど、お前は信用していない」





あなたの子がお腹にいる妊婦に
そんなことよく言えますよね・・・。


この時は
本当にこの人とやっていけるのか
悩みました。


そして、子供が生まれて
毎日が本当に右も左もわからない状態で
必死だった時のこと。



そんな時にパパから
頼まれ事があったんです。



それにはわたしの体調も悪かったので



「ごめん、無理」


そう言うと



「期待した俺がバカだった」




この辺りで、やっとパパは
相手の気持ちがくみ取れない人だと気が付いたんです。



それまで悪意があるようには
感じられない
から、わたしにはそれが『違和感』だったんですよね。




本当に優しい人だから
もしわかっていたら、そんなことは言わないだろうな
って思ったんです。



だからわたしは
同じような状況になるのを待っていました。


忙しいパパにお願い事をしたんです。


「忙しくて無理」



そう言ったパパにわたしは



「そっか。期待したわたしがバカだったってことね」


と言ったんです。



パパは鬼のように
スゴイ勢いで怒りましたよ~・・・。


その時に

「だってパパもわたしに、あの時、同じように言ったでしょ?」


そう言うと

「俺が言ったから、言っていいのか⁉」

とパパ。だから

「え?だめなの?」

と返すと、パパは無言で考えてました。




こんな具合に
パパには同じ状況になった時に
言われたらイヤだということを
してあげることで、わかってもらってきました。


それ以外に
わたしには、方法がなかった。





パパは、経験があることには
とても敏感な人です。



だから普段は
本当に優しいですし
気も使ってくれます。



でも知らない状況では
急に、冷酷な人になるんですよね・・・



だからイラっときたり
ヒドく傷ついたりすることは
今でもありますけどね。


こうやって、繰り返ししてきて
今ではだいぶマシになりました(笑)


縁があって
結婚したんですから
夫婦で、一つ一つ
乗り越えていければいいなと思っています。

他の子どもより、疲れやすいのは感覚過敏

一生懸命やることって
大事ですよね。


我が子には何でも
できる限り一生懸命になって欲しいと思うのは
みんなに共通して言えることじゃないかと思うんです。



でもなんだか
うちの子だけ
疲れやすい気がするって
わたしは思っていました。



それは
集団生活がはじまってからのことで
それまでに、わたしが息子くんをもっと
活動的に子育てできなかったからだと思っていました。



わたしも発達の凸凹があるので
人に会うと、とにかく疲れるんですよね。



でも、どこか息子くんのこととなると
『違う人間』と考えて、そこを一緒に考えてあげる事ができなかったんです。



だから学校や幼稚園に行って
帰ってきてからの息子くんの疲れには
どうにも寛容になれなかったんです。



今、もっと頑張れば
今、大変な思いをしておけば



きっと大人になるまでには
もっと体力がついて頑張れる人になる



そう思って
口うるさく言ったときもあります。



でも
カイロプラクティックの先生に



「凸凹のある子は感覚が過敏だから、他の人より疲れやすい」



「それだけ一生懸命に、頑張ってるんです」



そう言われて
気が付いたことがあります。



わたしは目の病気があり
眩しいのや、線が続いているようなもの(例えば表など)
そういったものは、とにかく苦手です。


表なんて
ちょっと仕事で使うと
夜に目が開かなくなったりします。


それはまた感覚過敏とは違うのでしょうけど
同じなんだろうなと。


どこかのサイトだったか

視覚が過敏な子は
授業中に教室のライトがチカチカしている中で
集中しようとしているようなもの。


聴覚の過敏な子は
扇風機やエアコンの音、服の擦れる音や
鉛筆で書く音などの騒音の中で、先生の声だけを
拾って聞こうとしているようなもの。


そう表現していました。



わたしも騒音は苦手で
これはすごくよくわかります。


息子くんも小さい時に
太鼓の音をすごく嫌がりました。



耳を塞いで
それでもビクビクしていたのを思い出します。



発達の凸凹は
困らなければ個性の範疇です。



敏感だけのレベルなら大丈夫ですが
それが集中を妨げると、困り事になります。


うちの息子くんのように
だらけてばかりいる。

やらないといけないけど
どうしてもできないようだ
というような場合。


もしかしたら
学校でこれらのような刺激に晒されて
疲れ切っているんだ、ということもあるんですよね。


そこで
親としては責めてしまいがちなのですが
子供が『自分はできないんだ』
と思って自己肯定感を下げてしまう可能性があります。


わたしも下げてしまってました。




またカイロプラクティック先生は


「そこで疲れてしまう体力の無さがいけない」


そうおっしゃってました。



息子くんは
すこしづつ体力も向上してきましたが
ヒドイ時は目つきが睨んだようになってしまいます。



そういう時は
アロマを嗅がせて、脳に刺激を与えると良くなったりしました。



息子くんは
嗅覚が敏感なのかもしれません。



アロマは
これも先生の指示で購入したもので
速攻性があるので、レスキュー的に使ってみてます。


暑いだけでも疲れるのに

凸凹のある子はもっと頑張ってきているんですよね。


「今日もよく頑張ったね!」


そうほめてあげようと思います。

新幹線殺傷事件のその後を読んで

どこかのサイトを拝見していて
専門家の方が、わたしと同じような見解をされていました。

犯人にとって
信じられる大人が一人でもいたら
こんな事件は起きなかったのかもしれないと。

伯父さんが記者の方に
「両親が愛情を持って育てていなかった」
ということをおっしゃってました。

犯人の周りの人間の中で
この方が一番まともな人に見えました。


そういった心配をされて
自身でなんとかしようとなさったのかもしれません。

でも
あの父親に傷つけられたことは
それを受け入れるほどの余裕がなかったのかも。




犯人のその後ですが
今は獄中の生活を
「まるで中学生が修学旅行で旅館に泊まりに来ているような
落ち着いた生活」をしているそうです。


居場所がなかったんでしょうね。


生きていても
自分がいて良い場所がなかった。


前回
いじめのお話をして
わたしの自己肯定感が低いという話をしました。


わたしの親も
いろいろ問題ありな人で
ずっと、わたしの場所はありませんでした。


結婚して
今のこの場所が
わたしの初めての居場所です。

わたしが
いて良い場所です。

(一人暮らしは別として)


わたしが一度
精神的に病んだ時


親に邪魔ものにされたことがあるので
先ほどの記事は、読んだ時に涙が出ました。


精神的に病んで働けないわたしを
母親は罵倒しました。


「こんな年になっても、働いているのに、あんたは何をやっているんだ!」と。


精神的に病んで
疲れ切ったわたしに、です。



発達障害の場合
二次障害として精神的な病気になることがあるそうです。


わたしもそうだったのかもしれません。


そうなる大きな要因が
環境なんだそうです。


わたしはいろいろなことを感じて
親と離れて生きることが、一番だと感じました。



そう実行できるぐらいに
回復したのには、助けてくれた人がいたわけです。




大丈夫、わたしはやっていける

そう思えたのは、信頼できる人がいたからです。



わたしも環境によっては
親を恨んで、殺意を抱いたかもしれない。


それぐらいに
毎日、追いこまれていましたから。


発達障害だから
そういったことになるわけではないけれど
その可能性を環境要因は、大きくしてしまうんだと思うんです。


犯人である彼を
信頼できる誰かが

「あなたは頭もいい。その頭の良さを活かした人生を探そう」


そう言ってあげられたら

わたしと違って
世の中のためになるお仕事に就くことも
できたかもしれないというのに。

いじめと発達障害

重いタイトルになってしまいました(汗)

でも、これって
避けられない話題です。


とても個人的な話ですが
わたしも息子と同じように
自分でグレーゾーンだと思います。


そういうわたしは
小学校から中学までずっといじめられました。

小学校までは
動物と接している方が楽しかった。


ただその時に
全然、友達がいなかったわけではないのだけど
信じては裏切られの連続でした。


そして
わたしを一番苦しめたのは
大人である先生方でした。

わたしを笑い
いじめを煽ることを
クラスで、先生が言う。

よくテレビで
いじめられて自殺した子の

「クラスの担任がいじめていた!」

なんて衝撃的に報道されますけど
大抵の先生は、しますよ。


そんなびっくりする話じゃないです。


う~ん・・・

いろいろありますけど

いくつかご紹介。


小学校一年生で
喧嘩した席が隣の男の子に
鉛筆で左手を刺されました。

血が出て痛くて
悲しくて、先生の元に。

「隣のSくんに鉛筆で刺されました」

そう訴えました。


先生「それで?」


わたし「・・・・・」


一年生で
何もそれ以上は言えなかった。

刺されたわたしが
悪いような気がしただけでしたね。


今でも
青い傷が残ってますよ。

それを見るたびに
思い出しますね。



ある日、席が隣同士の人で
その人の絵を描くという美術の授業でのこと。

わたしの絵を描いたKくん。

わたしが気にしている顔の部位が
目立つ構図で描きました。

先生とKくん。

「似てるね」

そこから二人で
延々と笑う。

「この辺りがね」

そういってその部位を
指で差す先生。

また笑う。笑う。笑う。


またある日、
学校にバレッタを付けていきました。

バレッタとは髪をまとめるプラスチック製の物。

授業中。

突然、先生に

「あなた、サイみたいね」


教壇で
授業中に
突然ですよ。


笑う他の女の子に

「ね?あの髪につけてるやつ、サイみたいよね?!」

一斉に
笑う。笑う。笑う。


それ、必要ありますか?

なにか、迷惑かけてますか?


こうやって
先生が煽るんですよ。


そして
あだ名をまた付けられて
しばらくそのあだ名で呼ばれる。


正直
またか・・・って感じでした。


それに、そういったことをしない先生は
見て見ぬふりするだけですから
同罪です。



しかも
中学3年で
事態が変わります。


わたし、
勉強が好きになったんですよね。


頑張ったのは
3年の時。


だから成績が
急上昇しました。


ここで先生の
態度が一変しました。


有名校に入れるレベルになって
急にニコニコし出して、いじめを煽ることもなくなった。


「あ~、やっぱり先生って信じちゃいけない生き物なんだ」


確信しましたね。


だから
先生っていう
言葉だけでもヘドが出る。


でもね。


今って
子供を育てるのに
親が学校に行かないといけないんです。


今でも学校行事の
一週間前ぐらいから
下痢が止まらなくなります。


雰囲気と先生という存在に
体が拒否反応してしまうんです。


でも行きますよ(笑)


わたしの時は親が殴ってでも
学校に行かせる時代でしたので


どうしてもイヤでも
行かなければならなかったので


自分の学校ではなく
息子の学校なら、まだまだ気持ちが軽い(笑)



そして
信用はしていないけど
先生には息子くんのことをお願いはしないといけない。


この先生は
うまく使えるだろうかっていう
目線でしかみません。



親ですから
息子のためですから
頑張れます!


でもちょっと思いました。


本当に一生懸命な
いい先生もいます。


先生も人ですからね。


大人になって
そこに気が付けたのは
息子のおかげです。



だから、報道など見ていて
先生が気が付かなかった云々。



嘘ですよ。



絶対に。


グルでしょ。


わたしはそう思ってみてます。


だから親が気が付いて
苦しみを止めてやらないとダメです。

わたしも
何度、高層マンションから
下を見下ろしたかわかりません。

高所恐怖症で
どうしても怖かった。

薬や違った方法ができれば
選んだかもしれないです。


そもそもいじめって
なくならないものなんだと
脳科学者の方が言ってました。


なくならないものとして
じゃあ、どうするかなんですよね。


いじめは自己肯定感を潰します。


わたしも
たぶん低いままです。


同じじゃないものを
排除しようとする。

それがいじめの発端だとしたら
発達障害の場合には、そのターゲットになる。


以前、面白いことがありました。

幼稚園でのこと。

いろいろなことが
円滑にはできない男の子がいました。


親も、その子の親と
付き合いを持ちたがらない。

わたしはそういうの嫌いなんで
自宅に招いたことがありましたけどね。


ある日の保育参観、
その子のいい所を親が発表することに。

その男の子の親が

「ドリルをやらせると、あっという間に終えてしまう」

そういった内容だったと思います。

まだ幼稚園で、しかも田舎町ですから
それほど教育している親はいませんでした。

どよめきが起き、中には

「すご~い!!」

そう言って
その子の親に近づいていった親も。

「どういったものを買い与えているのか」

「いつからやらせているのか」

そういったことを
次々に聞いていきます。

それまでは
付き合いを持ちたがらなくて
話かけもしなかったのに。

その男の子が
発達に凸凹があるかは
確認していないので、わかりません。


でも、何か突出して
いい所を持てるようになるのは
発達に凸凹がある子の特徴でもあると思います。


それが自己肯定感に繋がる。

自分に自信が持てる。


そういった、いい所を伸ばしてあげられたら
その子の人生が、楽しく意義のあるものになると思うのです。


わたしが大きくなるにつれて
気が付いた、わかったことは
学校が全てじゃないということ。


それと
勉強ができなくても
違う才能があれば、十分に生きていけること。


才能って言っても
オオゴトじゃなくてね(笑)


営業の才能がある人もいれば
販売の才能がある人もいる。



接客の才能がある人もいれば
物つくりの才能がある人もいる。



たくさんのそういった
違った凸凹があって、この世は回っているんだと思う。




息子くんは学校大好き。


いじめにあう確率が高いと思ったので
すぐに、学校が嫌いになったら、どこで何させようかと思って
わたしは考えてました。



民間のスクールが、どこにあって
いくらぐらいかかるのかも調べました。



今は子供を育てないと
育たない時代なんだと思います。



そういった凸凹がある場合には
レスキューを親が用意しておく。



それが今のこの時代で
親としてできることなのかなと
わたしは思います。

大事なのは脳でコントロールできること

専門家ではないので
原始反射のことや脳の構造で

どこの何が関係しているのか
わたしは説明ができないのですが

息子くんは、手が右利きで
足が右、耳が左で、目も左だったかな?


本当は、利き手、耳、目、足が
揃っていないと混乱(?)するみたいです。


それをトレーニングをして
一年以上たってだったかな~・・・


ぜ~んぶ
右に落ち着きました。


最初は、鉛筆の圧がわからなかったり
ちょっとした言い回しの違いや単位が変わることや
小数点や分数などに変っただけで、かなり混乱していた息子くん。


そして発達障害支援センターでは

「板書などで、躓くことが考えられます」


そう言われましたが
とりあえずは、大丈夫な様子です。



息子くんの原始反射の残存していた部分の
統合が終わったのか、どうかはわからないのですが

(↑先生は毎回、しっかり説明してくださってますのでわたしが忘れているのかも)

先生がいつも言っているのが

脳でコントロールできることが大事なんですよ」

ということ。


わたしもたぶん
相当の残存がありそうです(笑)


でも、とりあえず生きて来れて
まぁ、仕事もして来れましたし
結婚もして、子供もできましたし。


それならいいんですって(笑)


その残存で起こることを
自分でコントロールできなくて
生きていくのに困った状態になる。


それが問題なんだそうです。


でも考えてみたら
以前に観た運動神経鈍い芸人さんだって
残存していて、それが皆さんお仕事になってるわけでしょ。


苦手で
笑いが取れるんですもんね♪

この世の全ての人が
そういった問題がなくて
成長が、まっ平だったら・・・・?


つまらない世の中なんじゃないかな~(笑)


そういえば前に


今は両生類ぐらいです



そんなことを先生に言われた記憶があります(笑)



「早く人間になりた~い!!!」



懐かしの『ベム・ベラ・ベロ』を思い出しました(笑)



だから
育て直しみたいな感じもしましたね。



それと
大きな筋肉を動かす脳と
小さな筋肉を動かす脳の場所が違っていて
息子くんは、小さな筋肉を上手に動かせていなかったんだということでした。


鉛筆が上手に使えなかったのは
そういったことが原因だったのかな・・・。


息子くんがお世話になっている
カイロプラクティックでは、段階みたいなのがあって
その状態をチェックしてもらって、必要なトレーニングを教えてもらって
基本的には自宅でそのトレーニングを行っています。



またそのトレーニングが必要でなくなったりすると
違うトレーニングを教えてくださいます。



トレーニングの内容は
その時によっていろいろあるのですが
基本的には難しいものではありません。



右手と左足を上げて
右を向くとかいう感じです。


それを
例えば30回やってください、みたいな。


あと

「右から左に動かす指を目で追う」

それを往復10回とかだったかな。



最初は正直
こんな感じで何か変わるのかな?
そう思いました。


でも確実に
変ってきました。


そして何より
息子くんと笑い合える時間が増えました。


とにかくやれることができてそして、その効果が実感できて嬉しいんです。

運動が苦手だった息子くんの変化

小さい時から
体を動かすことが大好きだった息子くん。

好きと得意って
違うものなんだと思っていました(笑)


やってみるけど
全然できない


スキップも
最初は、変なステップでした(汗)


しばらくは
わたしがスキップしながら
息子を引っ張るというようなことしてました。


そして徐々に
ステップを教えましたね。


運動神経鈍い芸人の番組を観て
カイロプラクティックの先生にお聞きしたら
典型的な動きが、たくさんあったということがわかりました。



中でも、スキップをすると
お馬さんのようなスキップになっている方がいて
息子くんも確か、似たような感じでしたね(笑)


今はできるようになりましたよ。


運動が苦手で
そういったことを克服したい


そういった理由で
カイロプラクティックに来られる方も多いんですって。



我が息子くんも
どこか自分の腕が、手が
足が、付いてはいるものの、使えていない印象でした。



それが最近では
ようやく自分の意志で
思うように動かし始めた気がします。



息子くんがトレーニングを
嫌がらないでやってくれたのは
ママのご褒美があることと(甘えっこだから 笑)

自分で体を動かしやすくなったことに気が付いたことだと思います。


男の子って、運動など
体を動かすことが、大好きですよね。




「僕もあんな風に早く走りたい」



「僕もあんな高い跳び箱をカッコよく飛んでみたい」


息子くんもそう思ってたみたいです。


でも
そう思っていた息子くん。



最近は
次第に目標としていた男の子より
自分ができることが、出てきた
んです。



「○○くんより、俺の方が速かった!」


そう嬉しそうに報告するたびに



「トレーニング効果だね!」



そう二人で言うようになりました。


そうやって少しずつでも
息子くんの自信がついていってくれたらいいなと思っています。



ちなみに今は
運動部に所属していて

「次の日にパフォーマンスが上がる!」と

せっせとトレーニングしています(笑)



すると、このおかげで
ずっと習っているピアノにも影響が出てきました。



右手弾きをやって
左手弾きをやって


そしてそれができてから
両手を合わせるんですが


片手での練習時間が半分以下になりました。


ピアニストになど
ならなくてもいいんですけど(笑)

好きでやりたいと言って、自分で始めたことですから
楽しんで弾けるようなレベルまでは、頑張って欲しいと思ってました。


なかなかうまくいかなくて
ふてくされることはあっても
その習得の早さは、全然違ってきました。



考えてみたら
指の動きや利き手じゃない手を動かすこと。


そして右と左で
違う動きをするんですから
脳と密接な関係がありますよね(笑)



本当に
カイロプラクティックに連れて行って
トレーニングをさせてみて良かったと思っています。

恐怖麻痺反射が残っていると固まります

先日、原始反射の中の
恐怖麻痺反射の残存が息子くんに残っていたお話をしました。



この恐怖麻痺反射が残っていると
どういう問題が起こってくるのがというと



簡単にいうと
固まってしまうんです。



息子くんが誰かに強く言われた時に
グッと耐えることで、息を止めて固まってしまう



だからいくら聞いても
何を聞いてもダンマリになります。



思っていることは
いくら聞いても、出てきません。


お腹の中で
自分は守られているんだと
安心していいのだと思えなかったからでしょうね。



本当に申し訳ない気持ちで
いっぱいでした。



それには一番信頼のおける
母親の力が必要だとのことでした。



それは、ただわたしが
順番に息子くんの体を、触ってあげるだけです。


触る前に



「触るよ?いい?」


と聞いて


「もういいよ」


と息子くんが
言うまで、触ってあげるのです。



我が家では
寝る前にトレーニングを行って
その後に『ご褒美』にこれを行っています。



息子くん、曰く
とても安心するんだそうです。


そのまま眠ってしまうことも、しばしばです。


そこでは
単純だけれど
親子のスキンシップにもなりました。


そしてその時間に
様々なことをお話するようになりました。



安心するから
言えることもあるのかも。




「今日、○○君がね」



そう言って
学校であったことを
一生懸命伝えてくれる。



わたしも忙しい家事の合間ではなく
息子くんだけに向き合える時間。



だから

ゆっくり聞いてあげられる。



そういったコミュニケーションの
一つにもなりました。


それに、これはわたしの個人的な意見ですが
そういう恐怖麻痺反射が残ることで、自信が余計に持てなくなるのかなと。




単純に考えて
怯えながら生活するって
大変ですからね。





ましてや失敗が多くて
自分はダメなんだと思っていた息子くん。




最近は自分で


「成長したんだよ、俺は!」


そう自信満々に言いますが
母はまだまだだと思っています(笑)